女たちがいのちとともに紡ぎまもり続けた「たましいの食べモノ」811年、みち(奥州街道)を奥へおくへと進んだ大和朝廷は本州最北のエミシ部落「都母・つぼ」(現在の青森県東北町)へ至り停戦。つぼのいしぶみを建立。日本中央(ひのもとまなか)と記し凱旋。ヤマト時代、まつろわぬ民・エミシの住まう東の果てこそ、ヒノモトだった。かつてヒノモトと呼ばれた南部地方。縄文遺跡とアイヌ語由来の地名が多く、縄文文化を担うアイヌとエミシとの深いつながりが偲ばれる。粉食好きで虫歯だらけだった縄文人の粉食に縄文クッキーというせんべい状粉食がある。遺跡から出土する粉食―どんぐり、ナラ、クヌギ、とち、クリ、クルミ―は、保存食として遠く江戸末期・天保時代まで当地の人々の命をつないだ。シトギという当地名物の原型、アイヌ粉食「シト」...2019.11.03 10:12縄文食文化遺産日本最古の南部せんべい店川越せんべい店縄文エミシおいらせ名物石窯手焼き南部せんべい