十和田神社乙女の像の反対側のひっそりとした「十和田神社」正面鳥居から参道は整然とした杉木立で。左手は、巨大な溶岩石の小山。その先に十和田神社への短い階段を経て、小高い丘の上に神社がある。社務所には宮司の奥さんがおり、珍しいお話も聞ける。青龍権現とも呼ばれていた十和田神社。縁起には通常2通りの説がある。一つは大同2年(807年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂創建とされる説。東征のおり湖が荒れて渡れず、祠を建てて祈願しイカダを組んで渡ったという。もう一つは、南祖坊(南蔵坊、南草坊ともいう)によるもの。熊野で修行した南祖坊が、鉄の草鞋と錫杖を神から授かり、「百足の草鞋が破れた所に住むべし」と夢のお告げを得て、諸国をめぐり、十和田湖畔で百足の草鞋が尽きた...2019.10.21 01:11
雄大な十和田湖に育まれて十和田湖は、約20万年前に始まった火山活動により形成されたカルデラ湖。噴火によってできた陥没に、長い年月をかけて雨水が貯まってできた。御倉半島と中山半島に挟まれた中湖は327mもの水深を示し、日本では第3位の深さ。特に815年の十和田湖大噴火は、平安京開京後すぐの大変事で、朝廷の東征蝦夷討伐、エミシの北海道移住と青苗文化の登場に大きな影響を与えた。写真は明治から昭和にかけ活躍した吉田初三郎氏の「十和田湖鳥瞰図」雄大で厳しい北東北の自然。人々の暮らしを支える主要な河川の中心がまさしく十和田湖と十和田湖山系であることがよくわかる。2019.10.21 00:56